小林カツ代レシピは不滅!私が死んでもレシピは残る!最期の9年間の知られざる日々

日記

小林カツ代伝「私が死んでも、レシピは残る」

今 1冊の本が話題になっています。それは「小林カツ代伝」
 

  

小林カツ代という人は天才でした。

紀元前、紀元後ではありませんが、家庭料理の世界では、カツ代前、カツ代後という言葉があってもおかしくない」と、料理専門の編集者に言わしめるほどの存在だった「家庭料理のカリスマ」が亡くなって三年。

その波乱万丈の生涯を、生前から親交のあった気鋭のノンフィクションライターがたどる決定版評伝。

大阪の商家の「こいさん」(末娘)として生まれ、大学を出てすぐに結婚。

新婚当時は味噌汁も満足に作れなかった主婦が、いかにして戦後日本を代表する料理研究家になったのか……。

実姉や娘、元夫など家族の証言や、弟子たち、彼女を知る多くの関係者に広く取材し、仕事と家庭の両面から小林カツ代の実像に迫る。

伝説の「肉じゃが」、「わが道をゆくワンタン」など傑作レシピも紹介。

『私が死んでも レシピは残る』

小林カツ代さんは生前、こんな言葉を口にしていましたが、その言葉が今、現実となっているのです。

[voice icon=”” name=”安藤 和津” type=”l”]VYRの笑顔を見ていると、かっちゃん(小林カツ代さん)がいなくなったのが信じられないです。[/voice]

小林カツ代は「台所意識革命のジャンヌダルク」だった

「食」という字を分解すると「人」と「良」になる。
舌は感性の源ゆえ、何を食して生きるかは大切だ。

料理研究家の草分けである小林カツ代は、女性にとってのより良い「食」を求め、全力で生き抜いた。

今はスマホでクッキングの時代だが、家庭の中でもがく女性達にクルリと方向転換する術を与えてくれた、まさに「台所意識革命のジャンヌダルク」であった。

初対面で「先生」と声をかけたら「かっちゃんで良いわよ。私もカヅちゃんて呼ぶから」と言って、カンラカンラと小柄な体を揺すって笑った。

丁度私が料理本を出版した頃で、矢継ぎ早に「出汁のかつお節は絞る?」「勿体ないから絞っちゃいます」「葉物は茎を先に茹でる?」「茎はシャキっとが好きなので葉と一緒に茹でてます」
どうやら面接テストに合格だったらしく、そこからお付き合いが始まった。

困った~と一言愚痴れば、ガッテンだと即座に対応。
楽しい事へのアンテナは360度張り巡らせ、その実行力たるや年下の私も脱帽の素早さであった。

この「小林カツ代伝」はどのページにも映像を見ているかのように、かっちゃんが生き生きと存在する。

浪花のこいさんから、漫画のサザエさんのような新妻時代、料理研究家への第一歩へと、その発想の豊かさと行動力で別人のように脱皮し変化する女の一生が描かれている。

小林カツ代を知らずとも、運命を変えるのは自分自身なのだという人生読本でもある。

味覚には甘さ・塩っぽさ・酸味・辛味・苦味の五味がある。
かっちゃんの晩年は神様の手違いからか、何故か苦く辛く切ない。
しかし天性の舌を持ったかっちゃんだからこそ、人生の五味を綱羅したのだと私は思いたい。

どんな偏屈でも強面でも、美味しいと思った瞬間ふっと笑顔になるはずだ。
今も小林カツ代のレシピは、沢山の家庭に受け継がれ、沢山の幸せを生み続けている。

評者:安藤 和津 (週刊文春 2017.3.30号掲載) 

[voice icon=”” name=”中井正広” type=”l”]覚えてますか、小林カツ代さんは金スマにも…[/voice] [voice icon=”” name=”大竹しのぶ” type=”l”]覚えてます。金スマに出演されて ご一緒できて楽しかったです。

そのあとカツ代さんがご病気になったことをニュースで知って、その後も息子さんも事故に遭ったりとか・・・どうなさっているかなとは思っていましたが。[/voice]

確かに小林カツ代さんが病に倒れたときとお亡くなりになったときは報道されましたが、その間の闘病生活についてはまったく伝わってきませんでした。

小林カツ代さんがくも膜下出血で倒れてから一切明かされなかった9年間の闘病生活は いったいどのようなものだったのでしょうか?

この記事は 先日「金スマ」で取り上げられた小林カツ代特集のまとめです。
 
 
 
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小林カツ代さんはバイタリティに富み、様々な活動をしていた

小林カツ代レシピ

生前小林カツ代さんは、こんな風に語っていました。

[voice icon=”” name=”カツ代” type=”l”]いつも「私はこれから何をしようとするんだろう?」ということに興味があるの。

自分に期待をしているの。だから老後の不安とかは一切ない。[/voice]

活動的だった小林カツ代さんは、料理だけにとどまらず、2000年、カツ代さん62歳のときにチャリティ女声合唱団を結成しています。

その合唱団の団長である小林カツ代さんの元には、コシノジュンコさん、土井たか子さん、山田邦子さん、安藤和津さん、竹下景子さんなどのそうそうたるメンバーが集結していました。

料理以外にも多方面に精力的に活動していた小林カツ代さんが倒れたのは 合唱団結成から5年後のことです。

彼女がテレビから姿を消し、亡くなるまでの9年間のことは 友人たちでさえほとんど知らないのですが、30年以上小林カツ代さんのそばにいた一番弟子の本田明子さんは、当時のことをすべて見てきた一人です。

[voice icon=”” name=”本田明子” type=”l”]嫌な予感は・・・正直言ってありました。[/voice]

小林カツ代さんをくも膜下出血が襲ったのは、67歳のときですが、この年齢になっても仕事は増える一方で、カツ代さんは全国を飛び回る日々を送っていました。

[voice icon=”” name=”本田明子” type=”l”]先生、もう数か月、働きづめですよ。

お孫さんも生まれたことですし、少し休んだらどうです?[/voice] [voice icon=”” name=”小林カツ代” type=”l”]何言ってるの。大丈夫よ。[/voice]

このころのカツ代さんの平均睡眠時間は3時間だったそうです。

[voice icon=”” name=”小林カツ代” type=”l”]私は80歳になっても現役だから[/voice] [voice icon=”” name=”本田明子” type=”l”]でももし先生に何かあったら、とうするんですか。[/voice] [voice icon=”” name=”小林カツ代” type=”l”]いいの。もし私が死んでも、私のおいしいレシピは その家の家庭料理として永遠に残るんだから[/voice]  
 
 
 
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小林カツ代さんがくも膜下出血で倒れる

小林カツ代レシピ

そして2005年6月17日、その時は突然やってきました。

テレビ番組の打ち合わせが始まってから3時間後。

[voice icon=”” name=”小林カツ代” type=”l”](本田さんに向かって)悪いけど、濃いめのコーヒーをもらえる?[/voice]

睡眠不足と疲れのせいなのか?普段は飲むことのない、濃いコーヒーを飲んだカツ代さん。

[voice icon=”” name=”本田明子” type=”l”]いつもは麦茶みたいな薄いコーヒーが好きなんです。

けどその日は濃いコーヒーを飲みたいといったので、少し疲れているのかな?と捉えていました。[/voice]

それから間もなく、最初の異変が起こりました。

[voice icon=”” name=”小林カツ代” type=”l”]少し横になりたいわ。[/voice]

そう言って、奥に休憩を取りに行ったカツ代さんをしばらくしてから本田さんは見に行ったところ

[voice icon=”” name=”小林カツ代” type=”l”]頭が割れるようにに痛い[/voice] [voice icon=”” name=”本田明子” type=”l”]普段は「あっちが痛い。こっちが痛い」と仕事中には言わない人なので 様子がおかしいなと思いました。[/voice]

ほどなくして救急隊が到着したときには カツ代さんの意識ははっきりしていたものの、やたらと頭をかばう姿が見て取れたそうです。

実は持続性のある激しい頭痛は くも膜下出血の大きな前兆です。

救急隊が彼女を運び出そうとしたときに、突然カツ代さんは意識不明に陥ったそうです。

そして搬送先で下された診断はくも膜下出血。担当医が驚くほどの大量出血だったそうです。

当時、カツ代さんと同じく料理研究家になっていた長男のケンタロウさんにもすぐにこのことが連絡されました。

[voice icon=”” name=”医師” type=”l”]出血を抑えるために、すぐに手術をしなければなりません。[/voice] [voice icon=”” name=”ケンタロウ” type=”l”]助かるんですか?[/voice] [voice icon=”” name=”医師” type=”l”]その後の生存確率は10%です。[/voice]

手術をしても90%の確率で助からないという、絶望的な状況で、深夜に始まった手術は朝方まで6時間以上続きました。

それから二日後。

生存確率わずか10%の賭けともいえる手術でしたが、カツ代さんの意識は戻りました。

[voice icon=”” name=”本田明子” type=”l”]必ず先生が意識が戻るって、全員が思っていたんじゃないかなと思います。

先生は自分の失敗談を語るのが好きだったので、おそらくこれもネタになるだろうくらいのことにしか思っていなかったです。

きっと良い方向に行くだろうって思いが、みんな根底にあったんじゃないかなと思いますけど[/voice]

既に決まっていたテレビ出演の代役はケンタロウさんが務め、周囲の誰しもがカツ代さんの復帰を信じていました。

ところが手術から12日後、カツ代さんの容体が急変。

全身が麻痺し、体を動かすことはおろか、話すらできない状態に。

食事もとることができず、栄養は点滴から摂っていました。

そんな苦しい状況が続きましたが、料理への熱い思いだけは消えることがありませんでした。

[voice icon=”” name=”本田明子” type=”l”](病床のカツ代さんに原稿を見せながら)先生、これ、次回の原稿なんですけど、ご確認をお願いします。[/voice]

原稿に気に入らない部分があったのか、カツ代さんは眉間にしわを寄せ、必死に自分の意見を伝えようとしました。

[voice icon=”” name=”本田明子” type=”l”](気に入らないと)眉間に縦に二本線が入るので…。

それは元気な時から「あっ、縦に眉間にしわが寄ってる」って、「何が気に入らないんですか?」ってよく私は言ってたんです。

わかりやすい人だったので、そういう意味で、お話ができなくなってからも、それは表情でわかりました[/voice]

この時、世間にはカツ代さんの容体を一切公表していなかったので、仕事の依頼は次々と来ていたそうです。

それらを断らざるを得ない状況が悔しかったのか、カツ代さんの目からは涙が零れ落ちたそうです。

その涙の理由は、彼女が歩んできた料理人生にありました。
 
 
 
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小林カツ代さんの料理人生と悔し涙の理由

小林カツ代レシピ

小林カツ代さんの料理人生のスタートは20歳

小林カツ代さんの料理人生は、20歳の若さで結婚したところから始まっています。

実は彼女は 超がつくほど料理が下手でした。

[voice icon=”” name=”小林カツ代” type=”l”]みんなすごくびっくりするの。

(それまでは)私は料理なんてほとんどしなくて、結婚してから料理ができるようになったんです。

だから料理って誰でもいつからでもできるって言うんですよ[/voice]

その後独学で研究を重ね、料理を得意になっていったカツ代さんですが、料理の勉強のためにテレビの料理番組を見ていると、こんな不満が出てきました。

[voice icon=”” name=”小林カツ代” type=”l”]あー、もう!メモしきれんわ。大体めんどくさいわ![/voice]

当時の料理コーナーは、プロの料理人が手間ひまかかる難しいレシピを紹介するものばかり。

紹介される難しいレシピをメモしようとするたびに「めんどくさい!」ジレンマが。

そこでカツ代さんは 主婦代表として、テレビ局にはがきを送りました。

この投稿が、小林カツ代さんが料理研究家として世に出るきっかけとなったのです。

その投稿内容を一言でいうと「難しい料理は家では作れません。」

この投稿に目を通したスタッフにカツ代さんはテレビ局に呼ばれ、自身の考えを話しました。

するとカツ代さんにスタッフはこんな提案をしました。

[voice icon=”” name=”スタッフ” type=”l”]だったら、あなたが教えればいいんじゃないですか。[/voice] [voice icon=”” name=”小林カツ代” type=”l”]私がですか!?[/voice]

小林カツ代さんの料理研究家人生のスタートは31歳

[voice icon=”” name=”小林カツ代” type=”l”](あなたが教えればいいんじゃないですか、に対して)そりゃ驚きますよ。

でも私もあたかも自分が出るように話をしたからね。

こういう風に楽しくした方がいいと思いますって。私ならこうやってやりますって[/voice]

こうして1969年、31歳のときに 毎日放送で、小林カツ代のレギュラーコーナー「お料理大作戦」がスタートしました。

ひょんなことから「家庭料理研究家」になったカツ代さんでしたが、次第に料理を教えることが生きがいになっていきました。

だから病床で仕事の依頼を断らなければならないときに、カツ代さんは涙を流したのでしょう。

まだまだ伝えたいことがたくさんあるのに それができない悔しさからの涙。

[voice icon=”” name=”本田明子” type=”l”]先生は 自分は92歳まで生きるんだって言っていました。

70歳になったら70歳の人が便利なレシピを作り、80歳になったら80歳のおじいちゃんとおばあちゃんが いちばん楽して作れる料理をしたいと。

仕事ではなくて、プライベートなところではよくそんな話をしていたので、そういう意味では やり残したかったことがあったのかなって思います。[/voice]

体を動かすことができない母の思いを受け取るようにケンタロウさんは仕事に邁進。

レギュラー番組などに多数出演し、レシピ本も多数出版しました。

[voice icon=”” name=”ケンタロウ” type=”l”]自分で作ったものとか、人が作ったものとか。ちょっと手を入れて作ったものってホッとしますよね[/voice]

家庭料理を母の代わりに伝えていきたい、そんな仕事ぶりでした。

小林カツ代さんの息子 ケンタロウさんのバイク事故。ケンタロウさんは今!?

そのころ、カツ代さんの体にある変化がありました。

それまで食事をとることができなかったのですが 柔らかいものなら食べられるようになりました。

小さな前進でしたが、家族にとっては何よりの喜びでした。

ところが カツ代さんが病に倒れてから6年経った、2012年2月4日深夜。

ケンタロウさんが首都高でバイク事故を起こしてしまいます。

オートバイでカーブを曲がりきれずに、約6メートルの路上に転落し 重傷を負ってしまったのです。

頭部や足の骨を折るなどの重傷で、一命は取り留めたものの、日常生活すらおぼつかない状態になってしまいました。

ケンタロウさんが自分と同じ道に進み活躍していた姿を 病に倒れる前に誰よりも喜んでいたカツ代さん。

彼が大学2年の頃、料理研究家になりたいといってきたときの気持ちを、カツ代さんはこう語っています。

「あなたの道を歩きなさい」という主義でしたけど、息子が料理をすると言ったときに、やっぱりどこか嬉しかった。

ことに息子は料理が大好きでしたから、彼は大変お料理に向いております。
 


 

事故による大けがで、ケンタロウさんは日常生活もままならず、いつ仕事に復帰するかもわからなかったので、息子の事故はカツ代さんの心情を考えて 伝えられることはありませんでした。

その事故から1年後の2013年、ケンタロウさんは外出できるほどまでに回復しました。

ケンタロウさんが車いすで来ていたことに、カツ代さんが気付いていたかどうかはわかりませんが、彼が母の病室にお見舞いに来ることはあったそうです。
 
 
 
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2014年1月23日、小林カツ代逝く

そして2014年1月23日  

体が動かなくなっても9年余り、病と闘ってきたカツ代さんの命は尽きようとしていました。

最期に長女まり子さんは、母にこんな言葉をかけたそうです。

[voice icon=”” name=”まり子” type=”l”]がんばったね。ほんとによく頑張ったね。

本当のこと話せなくてごめんね。実はケンタロウがバイクの事故に遭って 車いすなんだよ。

でもきっと大丈夫。だから安心してね。お母さん。[/voice]

その言葉を聞いたカツ代さんは、そのまま眠るように天国に旅立っていきました。

料理と家族とともに生きた76年の人生でした。

お別れの会には、生前の彼女をしのび、およそ400名もの人が参列、そこで振る舞われたのは小林カツ代の代名詞「肉じゃが」でした。

小林カツ代さんが「みそ汁だけはきちんとダシから作って」と力説したのはなぜか?

小林カツ代レシピ

料理研究家の草分けとして、簡単・美味しいレシピを10000種類以上世に送り出してきた小林カツ代さん。

女性の社会進出が進む世の中に、彼女が与えた影響は計り知れないものでした。

時短料理を次々と生み出したカツ代さんでしたが、「これだけは手間ひまをかけてほしい!」と言い続けてきた料理があります。

それは「みそ汁」

簡単料理を世に送り出してきたカツ代さんですが、みそ汁だけはきちんとだしから取り、家族に食べさせることを力説していました。

その理由とは?

[voice icon=”” name=”本田明子” type=”l”]「たった1分のだしをとることを投げ出さないでほしい!」ということは 先生が非常に大事にしていた部分です。

「みそ汁くらいは作ろうよ」と。

子どもたちが思春期のときに、男の子は口を利かなくなるときがあるって、よく先生が言ってました。「部屋から出てこなくなる時がある」と。

そこでだしをとると、お出汁のの香りは家じゅうに立ち込めるものだから、部屋にこもっていても、その瞬間につい部屋から出てきて、思わず顔がゆるんでしまうと。

みそ汁の香りは人を集める力があるんじゃないかなって[/voice]

小林カツ代さんが「みそ汁は作ろうよ」と言ったのは みそ汁の香りは家族を集め、笑顔にすることができる・・・そんな家族への愛情からだったのです。

[voice icon=”” name=”陳建一” type=”l”](小林カツ代さんの料理が広く支持されたのは)「料理は誰でもできるんだよ」というのではなくて、カツ代さんという人の人柄だと思うんだ。[/voice]

小林カツ代さんのレシピには、カンタン・早くおいしく作るコツだけでなく、家族への愛情や優しさが込められていたのですね。

だからこそカツ代さんの料理はたくさんの人に愛され、亡くなった今でも求められ続けているのです。

きっと小林カツ代のレシピは今も、これからもずっと生き続けるでしょう。

[voice icon=”” name=”中井” type=”l”]カツ代さんは息子さんとも会えていたのですね?

ケンタロウさんは今、元気なんですか?[/voice] [voice icon=”” name=”本田明子” type=”l”]はい。元気にリハビリをしています。[/voice]  
 
 
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